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大型リゾート施設が経営に行き詰まり、各地の温泉旅館が廃業に追い込まれるケースが続出する中、売上高が8期連続で向上し、創業以来の最高値を記録する企業がある。「リゾート運営の達人」として注目を集める「星野リゾート」だ。 星野リゾートが経営する滞在型温泉旅館「星のや 軽井沢」は、宿泊予約サイトなどの人気ランキングで常に上位につけ、「憧れの名旅館」というブランドが定着。軽井沢で培った独自の運営ノウハウは、再生事業でもいかんなく発揮され、現在は、リゾートホテルやゴールドマン・サックス・グループと協働で温泉旅館の再生にも取り組んでいる。 だれもが見放した施設を、再生3年目にして黒字に反転させる「運営」とは、どんな仕組みだろうか。そして、そこに至るまでの道のりとは。星野リゾートを率いる代表取締役社長の星野佳路さんを直撃した。
失意の底から、社長就任。痛みを伴いながら、めざしたもの。
同族経営をぶち壊せ。理想を追い求めても、光が見えず。
星野リゾートが誕生したのは1904年。長野県軽井沢の開発に着手し、1914年に星野旅館を開業。詩人の中西悟堂、与謝野晶子、思想家の内村鑑三なども宿泊した老舗温泉ホテルである。5代目に当たる星野佳路さんはホテルの敷地内で育ち、家業を継ぐものとしてアメリカの大学院でホテル経営を学び、シカゴで働いていた。ところが29歳で帰国した時、経営者に向けて順風満帆だった風向きが突然変わる。入社した星野さんを待っていたのは、同族経営の壁だった。 「観光産業にありがちな同族経営に、ものすごく強い問題意識を持ちました。もちろん、同族経営には良い面があるのも確か。株式の時価総額にとらわれなくてもよいので、短期的な目標ではなく中・長期的な考え方ができる。ロングレンジで社員や顧客と向き合えるのは、大きなメリットです。問題は、公私混同。同族が特権階級になることで弊害が起きてくる。企業の形態を近代化しないと、将来立ち行かなくなると考えました」。 そこで、星野さんが取り組んだのが、特権階級意識を「ぶち壊す」こと。経営陣が株主としての自分と、個人としての自分を分けて考え、社員と同じ目線に立つことを求め、彼らに特別待遇はしないと決めた。その反応は、経営陣たちは「変革が急すぎる」。社員はというと「変革と言っている割に進まないじゃないか」。 「両者の合意を得るのは難しく、なかなか物事が進んでいきません。社員にしてみたら“そう言っているあなた自身も特権階級でしょ”という意識がどんどん強まってきます。僕の“本気度”が疑われているわけです。結局、本気と示す手段は、“辞める”ことしかありませんでした」。 帰国後わずか半年。星野さんは星野旅館を去った。
危機感の高まりの中で、社長就任。めざすは「究極のフラット」。
ホテル経営から身を引いた人生が再び流れを変えたのは、2年後。株主総会の決定により、星野さんは呼び戻される。株主の間で危機意識が高まり、大きな改革が必要という結論に達したのだ。その背景には、星野旅館のみならず老舗旅館の多くが「過去最大の脅威」と激震したリゾート法(総合保養地域整備法)の施行がある。 「日本全国に1000億円規模の施設が何十件も計画される一方、海外旅行に押されて国内の観光自体も伸びていない。そんな状況で、どうやって生き残っていくか。選択肢のひとつとして、僕が提案していたような思いきった企業形態の改革が浮上したわけです。リゾート法がなければ、おそらく自分が戻されることはなかった。リゾート法が施行されて危機感が高まったからこそ、今こうしてここにいるのです」。 思いが伝わらず、志も宙に浮いたままの辞職から一転。リゾート法という逆風にさらされる中での社長就任が、星野さんの「ターニングポイント」となる。会社を大きく変えるべく、最初に描いたのは「企業像」だった。 「絶対に譲れないのが、企業としてのあり方、企業像です。私たちの会社としてのあり方は、“究極のフラットさ”。つまり、同族経営陣などの特別待遇を一掃し、会社の意志決定をする際に、皆でいかにフラットな議論をするか、です」。
「だれが」言っているかではなく、「何を」言っているか。
「究極のフラット」が、星野リゾートの企業像。この企業像は絶対的だが、戦略は議論によって皆で決める。 「どんなリゾートホテルになりたいかというのは、基本的に“戦略”で、これはその時々で変えていけばいい。顧客ニーズもビジネスの競合も変化していくので、それに呼応しながら議論して変えていくものだと思います。正しい意志決定をするためには、皆が同じ情報を持ち、皆で議論すること。経営に関わる情報も、一部の人間だけが握るのではなく、顧客満足度から財務に至るまですべての情報を公開することが大切です。その上で、皆が同じ目線で議論をしなくてはいけません。サービス業は、接客している最前線のスタッフにお客様の情報が一番集中するので、それを生かしてもらうことが必要。“だれが”言っているかではなく、“何を”言っているかで物事を決めていくべきなのです」。
次々に辞めていく社員。だが、ここで駄目になるならなってもいい。
皆が同じ目線で議論できる新しい会社のやり方に、接客スタッフたちは拍手を持って迎える。しかし、いわゆる中間管理職からはやはり反発を買うことに。 「フラットな議論となると唯一の拠り所は、論理的な説得力です。会議では、入社したばかりの社員が『これってヘンですよね。なぜこうするの』と平気で発言します。質問に対し、『ずっとやってきたから』は禁止。理由になりません。説明できないことで居心地が悪くなり、自分の正しさやプライドが傷つけられたと思う人がたくさん出てきました。そうした社員の多くが辞めていくのはたいへん厳しかった」。 社長就任後の2年ほどで、実に3分の2の中堅社員が辞めていく事態となった。 「求人募集しても、当時は簡単には集まってくれません。毎晩、帰ろうとする社員たちに“明日も来てくれるよね”と確認していましたね。ただ、緊迫して辛い時期ではありましたが、心の中はすっきりとしていました。2年前と違って、自分の中で矛盾は全然ありませんでしたから。どんなに大変な状況でも、矛盾がない状態は心地いいですね。駄目になるなら、なってもいい。そこまで割り切ることができました」。 人が辞めていく苦難の時期を乗り越えて、議論のプロセスだけでなく、後には組織体系と人事制度もフラットなシステムに移行。ピラミッド型の組織から、少人数のユニットごとに立候補制かつ交代制のディレクターがいる組織へと変えた。TV会議などITを活用したシステムも導入し、場所に縛られずコミュニケーションを深めながら仕事を進めている。こうして、究極のフラットさは企業文化となって根付いていく。
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企業のあり方は定まった。では、どんなビジョンを描き、リゾート法に立ち向かっていくか。「運営の達人」が本領をいよいよ発揮していく。
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